鍵穴から外を覗いても大したものは見えない

時代は情報化社会。まさにサイバーパンクの世界が出現し、ワールドワイドウェブを主体とするネットワーク環境が広がりを見せ、スマートフォンに代表される端末がアクセスツールとしての役割を果たしています。大げさではなく、誰もが簡単に短時間で世界に「つながる」ことができる社会が実現しています。

しかしその一方で人と人とのつながりは希薄になり、社会は従来のコミュニティーを崩壊させたとも言われます。広く浅い関係が人間同士にも社会そのものにも浸透していったのです。大量の情報が氾濫することで人間はその取捨選択を迫られることになりました。能力は知識の深さよりも情報量に重点が置かれるようになり、コンピューターのように情報を貯め込むことが良いという風潮が生まれました。
「知っていること」が「優れていること」と同列に語られるようになりました。事実ビジネスの世界でも通常の社会生活においても、人よりも知識が豊富であること、大量の情報をコントロールしていることは有利に働いたのです。

しかし、そうした社会の潮流は、人生において人がとる行動を変化させました。人はドアの前に立つと、その表札を読むことで中にあるものを知ったと認識するようになり、苦労してその錠前を開けて、扉の向こう側に広がる世界を知ろうとはしなくなりました。せいぜいそのドアの鍵穴をのぞきこんで、その向こう側にあるものの断片だけを確認する程度になったのです。

当たり前のことですが、鍵穴からその向こう側を覗いてみても、大したものを見ることはできません。実際にドアを開け、そこにあるものの全体を見定め、手に取り、ときには味わうことで、知識の本来の姿を理解することができるのです。
人間の心も、希薄な関係のままでは深い部分を知ることはできません。カギを外してドアを開けない限り、本当の意味で分かり合うことなどできないのです。それが男女間のことであればなおさらというわけです。